#5

 

 

 

一番になりたかった人生です。

最近よく考えます。何かで一番になりたかったと。

いつだって「そこそこ」の人生を歩んで来ました。勉強もスポーツも。

別に何かの分野で日本一に!世界一に!とか壮大な事を言っている訳ではありません。

「村一番の力持ち」とかでいいんです。

将来、子供ができた時に「オラは村一番の力持ちだったんだぞ」って言いたいのです。

ショボくてもいいので軸が欲しいのです。

軸があればもっと何でも頑張れる気がします。

軸に身を任せればもっと堂々と振る舞える気がします。

 

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それを表現し、産まれたのがポールダンスですね。

嘘です。適当に言いました。

 

 

 

 

どうお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言が解除になったのですね。

何だかまだまだ不安はありますが取り敢えず「良かった」というところなのでしょうか。

日常が戻って来るのは喜ばしい事です。

喜ばしい事です。がしかし、こんな事を言えば不謹慎なのかもしれませんが、最近の緩やかな生活に慣れ過ぎて、元の日常に戻るのが恐ろしく思えます。

毎日朝から夜まで働くなんて今の弛みきった僕にできるのでしょうか。

 

こうやって長いお休みから日常に戻ると、いつも「時間を無駄にしたな」って思ってしまいませんか。僕だけでしょうか。

無限にも思えるほど時間があったはずなのに、終わってみれば「何もしていない」のです。

そもそも「無限に思える」と言っている時点で負けているのかもしれませんね。

いくら長い休みであったとしても、時間が無限にあるなんて事は無いのです。

長い時間であったとしても、計画的に使わなければ「無」です。

やはり身の回りの「有意義な休み生活を送っているな」と思う人たちを見ていると、休みに入る前から、「休みを有意義に過ごすための準備」をしていますものね。

旅行の予定なんか半年前とかからしていますもんね。尊敬しますよ。

僕は「予定が決まっている」事が何だか苦手で、旅行も数ヶ月前に予約したならば、その日が近づくにつれて「行きたくない!!!」という気持ちが膨らんでしまい、イヤアアアアアアアブヒイイイイイイイイイイと言いながら何とか前日夜中に荷造りし、転がるように家を飛び出します。

行けばね、行けば楽しいって事はわかっているのですが、何故だか「行きたくない」と思ってしまい、その「行きたくない」って思っている日々がストレスなので予約もしないのですよ。

出発の朝まで「行きたくない病」が収まらず旅行をキャンセルした事もあります。

「予約」ってある程度は必要な事はわかっていますが、僕は「行きたい時に行きたい」のです。予約した日が僕の「行きたい気持ちの日」と重なるとは限らないじゃないですか。

だから大学生の頃は「行きたい」と思った朝に、財布と携帯だけ持って空港に行き、安くて丁度いい時間の飛行機に飛び乗って旅行に行ったりしました。

最近では学会で福岡に行きましたが、学会だとかがあれば気になりませんね。

「行きたいか行きたくないか」でせめぎ合うから辛いのであって、「行かなければならない」の方が気楽ですね。

こういうのって飲み会とかでもそうなんですよね。「今暇?飲みに行こう」は大丈夫なんですけど、「何月何日に飲みに行こう」って約束すると行きたくない病が発症します。

だからそういう時は、飲み会の数時間前から個人的に飲み始め、勢いをつけないと家から出られないので、結果的に飲みすぎて次の日は二日酔いになる事が多いのです。

 

話が逸れました。戻しましょう。

「長期休暇明けに時間を無駄にしたな」って思う話です。

まぁでもこれは今に始まった事ではありません。

大学生の時なんて夏と春に2ヶ月休みがあったわけですが、いつも終わってみれば「何もしなかったな」って感想しかありませんでした。

「あれがやりたい、これがやりたい」ってイメージはぼんやりと湧いてきたりはするのですが、結局やりはしないのです。腰が重いんですね。

これは偏に体裁を気にし過ぎるためだと思われます。

「それをやればどう思われるか」とか「やるからには目に見える形で何かしらの結果を」なんて、おおよそ趣味だとか余暇を有意義に過ごすだとかには似つかわしくない追い込み方。

そして問題はその精神的熱量に伴わない行動力。

「何かしらの結果を」なんて思うのであれば脇目も振らずどんどんやれば良いものを、それはしないのですね。

大学生の頃の2ヶ月の休みで言えば、もちろん先ほど書いたような「休みを有意義にするために、休みの前から準備する」なんて事もしないため「折角の休みだからまずは少しゆっくりしよう」なんて思ってゴロゴロしながら、だいたい最初の1ヶ月は終わるわけです。

残りも半分となったところで「そろそろ何かしようかな」なんて思い始めて、あれもしたい、これもしたい、なんて悩んでいるうちに残りも2週間となります。

2週間となったところで

 

「2週間しか残されていない」

「何かに打ち込む時間としては不十分」

「結果が出ない」

「それならもう何もしない」

 

とお粗末な脳内会議が開催され、結局何もしないまま時が流れます。

で残り1週間になった頃に今度は「何もせずに2ヶ月を過ごしてしまった」事に対する猛烈な罪悪感が湧いてきます。

その罪悪感を払拭するため、先ほど書いたように朝突然、財布と携帯だけ持って空港に向かい脈絡のない旅に出かけたりするのです。

「旅は行きたい時に行きたい」なんて薄ら寒い事を書いていましたが、何のことはありません、これだって「行きたい」ではなく「行かなければならない」という気持ちに突き動かされていただけにすぎないのです。

何だか書いていて自分で悲しくなってきました。

 

僕はいつからこうなってしまったのでしょうか。

そんな今の僕が見習いたい人がいます。

それは昔の僕です。

子供の頃はもっと純粋に「やりたい」という気持ちに突き動かされていた気がします。

できなくてもカッコ悪くても何も気になんてしていませんでした。

今でも覚えているのは、小学校1年生の時に初めてスピードスケートの大会に出た時の事です。

僕の地元はスピードスケートが盛んで、幼稚園の頃から「スケート教室」に通う子もいるほどです。

そんな中で小学生になってからスケートを始めた僕は、どういう経緯があったのかは忘れましたが、ほぼ未経験のまま大会に出場したのです。

同じスタートラインに並んだ子達は「経験者」の子達。

皆、一様に「レーシングウェア」

 

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こういうピチッとしたやつですね。

これを着ていたわけですが、スケートを始めたばかりの僕にそんな装備は無く

 

 

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とりあえずありったけの防寒具を着込んだスタイルでの出場となりました。

そしてスタートの合図が鳴り、一斉に滑り出しました。

僕だけは歩き始めました。

皆さん一度はTVなどでスピードスケートを見たことがあるでしょうか。

基本的には腰を落として滑走して行くわけですが、スピードスケートの「ス」の字もわからぬままスタートを迎えた僕は、直立のまま一歩一歩氷を踏みしめるという方法でゴールを目指します。

こうなると最早、スケート靴を履いている必要性が全く無いわけですが、この時の僕はそんなことは考えもせずに、ただ真摯にゴールに向かって行きました。

その姿は衣装も相まって、さながらスケート大会に紛れ込んだ1匹のペンギンであったわけです。

 

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後から聞いた話では、スケートを始めたばかりの子は、滑ろうとしてもなかなかバランスが取れず、さらに足腰の筋力が足りない事もあり、膝が内に倒れる状態、つまり「内股」でヨロヨロと進んで行くものらしいのですが、そもそも「滑る」という意識がなかった僕は、いかにして氷上で刃のついた靴を履いて「歩く」かを考えた末、ガニ股で氷に刃を食い込ませながら一歩一歩、歩みを進ませていたのです。賢い。

 

小学1年生の大会ではまず予選で250mの距離を滑ります。

そしてその中で、大会の規模によって違うのですが、上位16位以内もしくは32位以内であれば決勝へ進出します。

250mであればだいたい速い子で30秒そこそこ、遅い子でも45~50秒くらいでゴールをします。

そんな中、僕は180秒という記録を叩き出します。

地元の町の小さな大会とはいえど、幼児の部から高校生の部まであり、その出場者たちとその応援の家族までを数えれば中々の人数のギャラリーがいたわけです。

僕の次に遅かった子が50秒かかったとして、130秒間、その多くのギャラリーが1匹のペンギンがただただ氷上で歩みを進める姿を見守る時間となったのです。

 

こうして僕の初レースは終わったのです。

となれば平和な話ですが、本当の悲劇はここからなのです。

先ほども言ったように地元の小さな大会なので、そもそも決勝進出の条件である上位16人という人数に出場者の人数が達していなかったのであります。

つまり出場者全員がエスカレーター式に決勝進出決定であったわけです。

そして問題はその距離。

決勝は500m。距離が倍になるのです。

そうなれば単純計算ですが、ペンギンのお散歩タイムも倍になるわけです。

両親がしっかりと目を見つめ僕に問います「出るか?辞退するか?」と。

僕は眼光鋭くこう答えたそうです。

「出る」

完全に強者の立ち振る舞いです。

優勝を狙う男のそれです。

しかし結果的に僕は辞退することになりました。

僕の両親は基本的に僕が「やりたい」という事にはいつも全力でサポートをしてくれる素敵な両親でしたが、この時ばかりは心が折れたらしく、強制シャットダウンという形になったのです。

大人になった今考えれば、両親は僕の為を思い辞退してくれたのかもしれません。

 

それ以降、何かに火がついた僕は結局、小学校を卒業するまでスケートを続け、学年が上がる頃には、多くの選手が出場する大きな大会で、当たり前のように決勝進出をするようになり、最後には80人以上出場する大会で、6位入賞するまでになりました。感動的ですね。

これは最早、「進歩」というよりは「進化」と言える成長です。

 

こうやって振り返ってみると、別に「村一番の力持ち」じゃなくたって良いのかもしれませんね。

社会の物差しで自分を測ることばかりに気を取られていたのかもしれません。もちろんそれが大事な事も多くありますが。

少なくとも自分が好きでやる趣味の範囲では、ちゃんと自分の物差しで自分を測ってあげなければいけないのかもしれません。

そうやっていれば、そのうち僕の中の物差しも大きなものを測ることが出来る物に成長するかもしれません。

30歳も間近に何を言っているのだと思われるでしょうか。

しかし20歳の僕から見れば今の僕はおっさんかもしれませんが、40歳の僕から見ればまだまだ若者です。

だから何かを始めてみようかなと思います。

これは40歳の、50歳の、60歳の、未来の河合おっさんに捧げるラブレターであり決意表明であります。

 

 

お休みなさい