#8
#5 - 根暗事跡で「何か始めてみようかしら」と書きましたが、一体何を始めたら良いのでしょうか。
まぁ仕事は仕事として頑張るとして、普通に考えれば何か「趣味」に打ち込むべきなのでしょうが、僕の趣味って何?となっているのが現状です。
例年であればこの時期は専らプロ野球観戦をしているわけですが、今年の場合はコロナウイルスの影響で開幕すらしてませんでしたからね。あ、でも明日開幕ですね。楽しみ。
しかし趣味としてプロ野球に打ち込むってどういう状態を指すのでしょうか。
プロ野球に打ち込むべきはプロ野球選手であって、僕ではないのです。
僕はただ阪神が勝てばその日のビールが旨いだけの存在なのです。
それならば実際に自分がやる野球はどうかと言えば、それも今年は今の所、全試合全練習中止になっているのでやっていませんが。
関係ありませんが先週末(6月13日14日)は本来、北海道歯科医師会の全道野球大会であったのですが、北海道は暑く今年の開催地予定地であった小樽市も30℃近い気温であったのですね。
この大会はかなり高齢の先生方も出場されるので今年は中止で良かったかもしれません。
大惨事になる可能性がありましたね。
話を戻しまして自分でやる野球はですね、もちろん楽しくてやっているわけですが、「打ち込む」と言えばどうでしょうかね。
毎日筋トレをし狂ったようにバットを振っているので、打ち込んでいると言えば打ち込んでいるのでしょうが僕の中ではどちらかと言えば「健康のため」にやっている色合いも強いのです。
例えば「これからプロ野球選手になれる可能性があります」と言われれば打ち込むかもしれませんが、それは現実的ではありません。
他に趣味と呼べるものと言えば。
小説であったり漫画を読む事ですかね。
大学生の頃は定期的に古本屋で¥100の小説だとか漫画を買い込んで時間の許す限り読み耽っていたりしました。
しかし大学を出て、やや忙しくなってからは特に小説はめっきり読まなくなりました。
多分これは「趣味」ではなくて「暇つぶし」であったのでしょう。
漫画はたまに読みます。読みますけど、「新しい漫画」を読むのってなんだか凄くエネルギーが必要な気がして、読んだことのある漫画を再び読み返しているだけです。
今はスマホで読めますからね。ここ数年は少しの空き時間にちょこちょこと同じ漫画を読み返して、「キングダム」現在全57巻を5周しています。異常者です。
今書いてて思いましたが、普通に趣味ですねこれは。
「キングダム」にはハマり過ぎていますね。誰かと熱く語り合いたいのですが、そもそも自粛の影響でもう数ヶ月友人と長時間話すこともないので、脳内で架空のインタビューに答えてキングダムについて語り、溜まりに溜まった気持ちを晴らしている位にはハマっています。
しかし漫画に打ち込むと言えばこれもまたやはり違和感がありますね。
漫画に打ち込むのは漫画家の先生方であり、僕ではないのです。
僕はせいぜい好きな漫画を読み、たまに脳内インタビューで魅力を語って悦に入るくらいの存在なのです。
あとは音楽でしょうか。
中学生の頃に当時流行っていたパンクロックを聴き始めて、親にねだってギターを買ってもらい自分でも音楽をやり始めました。
これまた関係のない話ですが、その時に買ってもらった初心者セットのギターとアンプを繋いで夜な夜な練習をしていると、ギターがアンテナ代わりになっていたのかよくアンプから異国語(おそらくロシア語?)が聞こえてきて、それが凄く恐ろしかった記憶があります。
聞いちゃいけない情報かもしれない・・・消される・・・と思っていました。色々と拗らせていたのですね。
それで中学、高校、大学と様々な音楽を聴いて、自分もバンドをやり続けていました。
しかしこれも大学を卒業するとともに、あまりやらなくなってしまいました。
音楽を聴くのも、漫画と同じで「新しい音楽」を聴く事に多大なエネルギーが必要な気がしてしまい、同じアーティストの同じアルバムを延々と聴き続けているだけです。
僕は月額¥980を支払い、iPhoneのAppleMusicで音楽を聴いているのですが、同じアルバムしか聴かないのであれば、そのアルバムを購入しAppleMusicを解約した方が完全にお得ですね。
でもそれはしないのです。何故ならば、現状他のものを聴いていないのですが、他のものを「聴けない環境」に身を置くのはなんか不安であるからです。自分でも言ってる意味がよくわかりません。あばば
ちなみに繰り返し聴いているのはMacDeMarcoの「Salad Days」と踊ってばかりの国の「君のために生きていくね」という2枚のアルバムです。
ギターもね、全然弾いていません。
現在、僕の1Kの狭い部屋にはエレキギターが3本、エレキベースが1本、電子ピアノが1個あり、かなり部屋を圧迫しております。「インテリア」と呼ぶにしても存在感があり過ぎます。
「エレキギター 弾かなくなれば 粗大ゴミ」なんて有名な川柳もありますが、嘘です今適当に考えました、なんにせよそれぞれ思い出のある大切な楽器達なので「粗大ゴミ」になんてしたままでは悲し過ぎます。
物に対する愛情は人一倍深い方なのです。
それでたまーに手に取って弾いてみたりするのですが、やはり「弾いていない」という事実は僕の楽器の腕前を加速度的に衰えさせており、その弾けなさっぷりに愕然とし、またしばらく楽器に触らない日々が続くのです。悪循環。まぁ元々、腕前と言えるほどの腕前はありませんでしたがそれでも悲しいのです。
それに久しぶりにギターを弾くと指が痛くなるのですね、こんな事はギターを始めた中学生の頃以来です。同じ痛みでも、中学生の頃の僕にとっては成長の証であり喜びであり、今の僕にとっては退化の証であり悲しみであるのです。不思議ですね。
しかしギターはまた少しずつでも練習してみようかなと思っています。
やる事一つ目決まりました。
しかしこれもまた「打ち込む」とはまた違うかな。
それでは「料理」なんてどうでしょうか。
僕は高校生の時、実家を出て下宿に住んでおり平日の食事は保証されていたのですが、土日の食事は自力で賄わなければならなかったのです。
下宿に住む仲間達、棲まうという表現の方が正しいかもしれませんが、とにかく仲間達と料理をしたりしていたのですね。
関係ないですが、料理ってある程度の人数が揃い食材を割り勘するとかなり経済的なのですが、少人数であればかえって高く付いたりするのですね。
それである時、僕と先輩の2人しかいなく、2人とも極度の金欠であったため吉野家のカレー当時¥280を2人で半分こにして食べたのを覚えています。その時は本当に金欠で、僕に至っては神社でもらった5円玉に紐をくくりつけた御守りまで駆使しました。文字通り僕を守ってくれたのですね。
ちなみに誤解があってはいけないので書いておきますが、僕の両親は僕を飢えさせるような事はしないので、週末に腹一杯食べられるくらいの十分な仕送りはもらっていたのですが、そのお金はその他くだらない何かに消えていた為に金欠であったのです。その「くだらない何か」がなんであったのかも思い出せないので本当にくだらない事であったのでしょう。
話が逸れました、そんな感じで高校生の頃から料理をしていたので、料理をする事に抵抗も無ければ、特に嫌いでもありません。
特に最近は自粛の影響でめっきり外食もしなくなっていたので、自分でも引くくらい料理の腕が上がっています。
しかし、じゃあ料理が好きなのかと問われれば、「それは違う」となります。
僕はただ「不味いものは食べたくない」という気持ちそれだけに突き動かされているだけなのかもしれません。
あと大学生の時など自炊もしていましたが、それと同じくらいコンビニやスーパーのお弁当、カップラーメンなども食べていて、それに飽きたのではないでしょうか。
今でもなんだかんだ言って昼食は出先になるためコンビニ弁当を食べることが多く、それで朝食、夕食までコンビニ弁当となるのはちょっと嫌なのです。年のせいなのでしょうか。
つまり僕にとって料理とはポジティブな気持ちでするものではなく、ネガティブな思いに抵抗してやっているものなので、これにもやはり「打ち込む」とはなりません。
それでは他に僕にとって「趣味」と呼べるものは何があるのかと言えば。
それは「迷子」になることです。
これは大学生の頃に始めた趣味なのですが、地下鉄に乗り行った事のない駅で降り、そこから各種電子機器、地図などに頼らずに歩いて帰るというものです。
それが今では形を変え、様々な「迷子パターン」があります。
例えば、週に2日仕事で行っている病院は自宅から最短距離で7km近くあるので、1年近く通っている今でもまだ通った事のない道が沢山あるのです。
そこで敢えてまず家の方角とは別の方向に自転車を漕ぎ出し、10分程無心でぐるぐると周辺をうろつきます。そうすると方角の感覚が失われ、立派な「迷子」が誕生するのです。
そこから勘を頼りにできるだけ見覚えのない道を選択しながら帰宅を目指すのです。
行きは大体35分くらいで行くのですが、帰りは1時間半程かかる事もあります。僕は何をしているのでしょうか。
それでもこれが辞められず、この一連の流れを僕は「戦略的迷子」と呼び楽しんでいます。
旅行に行った時も、観光地にももちろん行ったりしますが、そこから1本、2本裏の路地に入り込んで、その土地の生活感溢れる領域で迷子になるのが楽しくて楽しくて。
ベランダに布団が干してあるのを見かけたりなんてしたら最高ですね。後は日も暮れて来た頃に家々から夕食の準備をする匂いがして来たりなんてしたらニヤニヤが止まりません。
迷い込まなければおそらく一生辿り着く事の無かった見知らぬ土地でも、当たり前の様に人々が生活をしていると言う事実に興奮するのです。
戦略的迷子による思い出は色々とありますが、今思い出すのは東京に行った時に下北沢の友人宅に泊めてもらったのですが、そこを拠点に住宅街を彷徨い続けた事です。
細い路地を歩いているとボロボロの銭湯を見つけ、どうしても中が見たくなってふらっと入ったのですが、地元の小さな銭湯であるためおそらく毎日ほぼ同じ人が入浴しに来る場所であったのでしょう。お年寄りしかいない銭湯に突然、普段見かけない若者が入ってきた為か、とても不審な目で見られました。
しかも昔ながらの銭湯で、その場にはタオルも何も置いていなく、僕も飛び込みで入った為にもちろんタオルなんて持ち合わせていないわけですから、そうなるともうプランプランですよ。
隠す物を持っていないのですから。仕方ありません。
しかし僕は見慣れない若者なわけですから。プランプランに熱い視線が注がれるわけです。
でもこれって凄い事なのです。僕が迷子になりその銭湯に辿り着かなければ、あの時のおじいさんたちが僕の局部を目にする事は一生起こり得ない事であったのです。
運命の交差。美しさすら感じます。
そして熱い湯から上がり気がついたのですが、身体を拭くタオルもないわけなのです。
それでなんとか扇風機で身体を乾かそうとしたのですが、地元のボス的なおじいさま方が扇風機の前に仁王立で陣取って延々と世間話をしているわけです。全然どけてくれない。
それで僕はおじいさま方のお股越しの風で必死に身体を乾かしたのですが、これも迷子にならなければ決して感じる事のできなかった風なのです。
美しい。
この「戦略的迷子」は打ち込むに値する趣味であるとこれを書きながら確信しました。
まだまだ行った事のない土地なんて数え切れない程ありますし、自分が10年住んでいる札幌ですら行った事のない土地がほとんどであるわけです。
迷子の可能性は尽きない。
そして忘れがちですが大事な僕の趣味、「文章を書く事」。
「戦略的迷子」X「文章を書く事」=「戦略的迷子日記」です。
決めました。今。まさに今決めました。
「戦略的迷子日記」を書き始めようと決めました。
しかし今はまだ少し世間が騒ついておりますので、落ち着いたらまずは札幌市内で迷子になろうと思います。楽しみですね。
まぁしかし完全に不審者ですね。いつか見知らぬ土地でそこの自警団的な方々に取り押さえられる日が来るのではないかと思っています。しかしそんな人生の終わり方も良いではないですか。
おやすみなさい